もう夏も終わりそうで、ちょっと季節が遅くなってしまいましたが、夏といえば怪談話。といっても、稲川淳二のファンというわけではありません。
夏期講習で忙しかったせいか、今年は車の運転が心配でした。自分の車のレビンが廃車になり、智恵子さんのファンカーゴに乗っているのですが、未だにブレーキの位置とか慣れません。それに、お兄さん(智恵子さんのお兄さんの佐野隆史さん)に言われたのですが、ファンカーゴの名義を私の名前をかえたとき、任意保険はどうしていたか、きちんと確認した? …その確認がまだそのままのような気がする。休みの日に確認しようと思っているのですが、今日も夕方まで寝てしまいました。そのため、今この車で事故をすることは非常に危険です。
佐野隆史さんは、智恵子さんのお兄さんなのですが、智恵子さんは実は三人兄弟で、さらに上に悦子さん(この漢字でよいのか、それともこの名前も合っているのか、ちょっと記憶があいまいです)というお姉さんがいます。
私はこのお姉さんに会ったことがありません。なぜなら、高校1年生のとき、智恵子さんにはじめて会ったとき、悦子さんはすでにこの世の人ではありませんでした。
何回も何回もその話は聞いたので、智恵子さんはよほどそのお姉さんが好きだったのでしょう。ことあるごとに、その話をしてくれたのですが、あまりよい友達とは言えない私は、悦子さんの名前すら怪しく、申し訳ないです。
豊橋でまだ親父さんが喫茶店をしていたころ、悦子さんはその看板娘だったようです。頭は良かったので、どこの高校でも行けたらしいのですが、結局適当に選んでしまい、もっぱら家の手伝いをしていたと言っていました。
喘息…だったのかなあ、何か持病を持っていたと言っていました。急に具合が悪くなり、救急車ではなく、車で病院に向かったときのことを詳しく話してくれました。ついさっきまでは元気で、夕飯もみんなで一緒に食べた直後のことだったので、お兄さんも智恵子さんも何が起こったのか、わからなかったようです。あのときの気持ちは説明できないなあ。本当に何が起こったのか、わからなかったの。
お兄さんと二人で、病院からとぼとぼと帰った(歩いて帰る距離ではなかったそうだが)ときの様子を、悲しそうに説明してくれました。たぶんこの話は、10回以上は聞いています。
そのときはその気持ちをわかることはできなかったのですが、最近同じような経験をしたので、何となくわかるようになりました。
ここまでだと、悲しい話で終わってしまうのですが、怖いのはここから。
悦子さんのお葬式のとき、玄関の脇まで来て、ずっとお葬式を見つめている青年がいたそうです。名前はペタくんと言います。…って、もちろん本名ではないです。本名はわからずじまい。智恵子さんもニックネームしかわかっていなかったのかも。この前のお葬式のときも、親戚のおばさんたちは、みんな「ペタくん」と言っていました。なぜペタくんなのか、今でも気になります。
ペタくんは、悦子さんと付き合っていました。高校生くらいだったのでしょう。お葬式で中に入るほどではなかったのでしょうか。それも不思議です。
悦子さんが亡くなってから、ペタくんは、生きる希望を失ってしまいました。まるで今の私のようです。
大学生になったころ(この辺も私の記憶はあいまいです)、友達どうしでドライブに出かけ、何の変哲のない道路を飛び出し、田んぼにつっこみ、ほかの友達がかすりきずだったのに対し、ペタくんはあっけなく死んでしまったそうです。
前にも言ったかもしれませんが、智恵子さんには非常に強い霊感があり、数々の不思議な現象(予言)を起こして、まわりの人たちをびっくりさせていました。悦子さんのときも、そのようなことは何回もあったらしいのですが、ペタくんに関しては、こんなことを言っていました。
お姉ちゃんは、二階の住みやすいところに住んでいるのに、ペタくんは、そのすぐ下の階に住んでいて、距離は非常に近いのに、全然会えない位置にいる。だからペタくんは成仏できていないかもしれない。
そんな智恵子さんに感化されたのか、私にも霊感があるような気分になったことがあります。それは、智恵子さんの心臓のバイパス手術の前の日だったと思います。夢なのか、単なる願望なのか、私が感じたのは、自分の母親の弘子さんの声でした。弘子さんは私を産んでくれた母親のほうで(私には私を育ててくれた峰子さんという母親もいます)、弘子さんは、「私は悦子さんと同じところにいるから、彼女と仲がいい。今回はあなたを守ることはやめて、悦子さんとともに智恵子さんのところにいるから、あなたは自分で頑張りなさい」というようなことを言った(感じた)記憶があります。その後、心臓のバイパス手術は奇跡的に成功し、7時間におよぶ手術を智恵子さんは乗り切ることができました。
霊界みたいなところがあるとしたら、そこにはある階層みたいなものがあり、悦子さんと弘子さんは同じ階層にいて、ペタくんはそのひとつ下の階層にいたため、会えなかったのでしょうか。
さて、これからが本題です。
最近、夏期講習で、朝から晩まで塾にいて、帰りにくたくたになって車で家に向かいます。そのころには、ホントにグダグダで、家に帰ったらすぐ寝てしまうほどの疲れで、車の運転がいちばん危険な時間帯です。そのいちばん危険な時間帯に、救急車がすぐそばを通ったときにそれは起こります。
救急車。これは相当私のトラウマになっていて、智恵子さんが亡くなった瞬間、救急車のサイレンが聞こえたことが、今でも頭の中をガンガン駆け回ります。
疲れ切ったときに救急車のサイレンを聞く。これは私の何かのスイッチを押してしまうようです。
とりあえず、心臓がドキドキして、息が苦しくなり、とても車の運転どころではなくなるので、路肩にとめて少し休みます。それで良くなるときもあるのですが、発作がひどいときはたいへんです。車のハンドルがとけてしまうような錯覚があり、足元から…そう、足元から、知らないお兄さんの顔が見えるのです。その顔は、私は決してみた記憶はないのですが、そのわりに、鮮明です。さわやかな好青年といったところです。
ペタくんでしょうか。
ペタくんですか。と聞いたときもあります。ニコニコ笑って何も答えてはくれませんでした。悪意はないようで、そのまま、車の中に引きこまれていく…みたいな事態にはまだなっていません。
これは心理学で説明できるのでしょうか。私はできると思っているのですが、やはりハンドルがとけて顔が見えるのは怖いです。
まあ、毎晩救急車の音を聞くわけではないので、そんなに毎回ではないのですが、ふつうに怖いです。
寝不足が原因かなあ。
こういうときは、次のように考えて乗り切るようにしています。人間の感情というのは、神経のシナプスが織りなすのであって、悲しみとか、怒りとか、怖さといったようなものは、すべて電気の信号のようなものです。すなわち、私の心の中で、そうした悲しみや怖さが起こったとしても、それは結局、電気信号がちょっと激しくなっただけだよ…と。
また、こうも考えます。
世の中のすべてのものは原子と分子でできていて、智恵子さんが死んだということは、それが純粋な物質(炭素や水素や酸素といったもの)にもどったということで、それらの物質は、必然的に近くにいた私のからだの中にとりこまれているはずだ。実際、智恵子さんの骨とかも食べてみたこともあるし(味はなかった)。
だから、とっくの昔に、私と智恵子さんの原子や分子は混じり合っていて、そんなに悲しまなくても、すでに区別はつかないほどになっていると。
う~ん、科学的だなあ(ホントか)。
今日はちょっとだけこわい話でした。
光の泉校長 松田 一哉